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わしゃあ、戦争も行ったよ、、、

 自分が、田んぼをつくっているところの、すぐ近くの田んぼをやっているAさんに朝の犬の散歩のとき、ときどき会います。きのうも天気のよい朝会って、しばらく立ち話をしました。昔のこのあたりの田んぼのようすなどを話していましたら、「わしゃあ、大正の最後の生まれやでな」という話になりました。
 「わしゃあ、戦争もいったよ」と言って、その頃の話を聞かせてもらいました。

 、、、、兵隊いったけど、そりゃあひどいもんやった。食いもんなどありゃせんし、鉄砲はあっても玉がありゃせんわ。腰につける剣もあったけど、さやがありゃせん。刀だけやわ。しかたがないから、自分で作ったわ。
竹切ってきて半分に割って、刀が入るように針金でまいてさや作ったわ。そのまんまでは、抜けてまうで、さやと身とをぬけんようにしばるように勘考して止めとった。そんなことやっとるようでは、勝てるわけないわな。
昭和18年に初めて軍属で九州行ったけど、そのころからもう勝てる気はせんかったな。
 19年に工場へ手伝い行ったけど、赤痢にかかってしまった。一緒に働いとったものがようけ死んだよ。わしゃあ死ななんだけど、ようよう治ってもし体の調子が直ったらまた来いなと言われて帰ってきたけど、うれしかったな。

20年には、またはがきがきて今度は兵隊にいったわ。南方に行く前に戦争おわてしまったわ。ちょうど3カ月くらいで負けてしまったわ。わしゃあうれしかったわ。帰れるでなあ。はがき1枚で出かけて行って死んじゃったもんもいたよ。兵隊なんて人間だなんて思っとらんわ、大事になんかしてもらえんで。はがき1枚やで、はがき1枚くるといかならんで、そんで死んじまうなんていやなもんやで。

 安部さんは自衛隊でなんかやろうとしとるけど、そりゃあ簡単なもんやないで。あんなもんはいかんで。
戦争なんてもんはみじめなもんやで。いまでもよう覚えとるでなー。帰れた時はうれしかったわ。

ガダルカナルなんかじゃ食べもんあらへんで、死んでも体に肉なんてあらへなんだ。でもそうやって死んだらしかたないでそのない肉を食って生き延びたもんもおったわ。、、、、、、
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Aさんは、ちょっと耳が遠そうで、話をぽつぽつとはなしながら、しばらくして歩いて坂道をのぼっていかれました。強い話し方じゃないけど、むりやり兵隊につれていかれていやだった、ということはじわじわ伝わってきました。自分もそのころ生きていたら、それはいやだっただろうなとつくづく思いました。

自分がよく話をするのは、このところ年配の人が多いので、聞く話は自分にとっては知らない昔のことが多い。昔の自然や田んぼや生活やら、何回きいても興味が尽きないです。
Commented by ichiichik at 2014-05-21 17:51
僕の死んだ親父は大正10年の生まれ
中国へ戦争に行っていました。
戦争は楽しかったようで戦争反対の番組を見ては
戦争は悪いばかりじゃないと言って怒っていました
中国で何してきたかは話しませんでした
そういう思いの人がこの政権を支えてきたのでしょう
Commented by tatamiya at 2014-05-23 23:26 x
ichiichikさま
わたしのような軟弱者は、戦争なんぞとうていできません。
戦争に行く前にいやでいやでたぶん死んでしまうでしょう。
人を殺すことも恐ろしくてできませんし、ころされるのもたまらない
地獄だろうなと思います。
でも国を守るためには、戦争も仕方がないのだろうか、、、
人間というのは、どうしようもないバカな生き物としか思えません。
情けない。
だんだん世界中がきな臭くなってきていますので、とてもいやな気分です。自分の子供は幸せになってもらいたくて、育てているのであって、人殺しをしあうために育てているのではありません。
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by tatamiyamoto | 2014-05-21 17:00 | ひとりごと | Comments(2)

工房と自然とともに生きる生活をつづります. 工房で制作している彫刻、木版画、も紹介してゆきます。

by tatamiya